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長雨の合間に冴ゆ
COMIC CITY SPARK 16 閃華の刻 火華2021おまけ
 歴史管理庁管理部管理課ーー第二機動部隊、司令室。
 全ての音が青い絨毯に吸い込まれているように思えるほど静まり返っている。室内には指揮官である男ーー九重と、彼の近侍の大般若長光だけだ。やけに広い部屋には来客用のソファセットが申し訳程度に置いてある。立ったまま話をすることが多いから、九重の机の前はぽっかりと空いていた。
 最近は所属している刀剣男士が出払っていて、新規任務がまったく片付かない。昨日など、あまりにスクランブルを断るから第一機動隊の近侍が乗り込んできた。最終的に指揮官が出てきて引きずって帰ったけれど、アレには流石の大般若でも冷や汗が出た。
 ディスプレイの右下にポンとポップアップが出た。強制転送ゲートの解錠要請だった。
「主人、薬研藤四郎からの連絡だ。星を確保したようだ」
「だいぶ早かったな」
 九重は頬杖を突いてディスプレイを眺めていた。今日はぼんやりしていて覇気がない。これは普段通りなのだが、大般若としてはもう少しキリッとしていて欲しい。これでは指揮官の威厳がまるでない。
 そんなことを考えているうちに、部屋の真ん中に桜の花びらの柱が現れた。どさ、という鈍い音も控えめだった。
「お帰り」
 鶴丸が両手を後ろで縛られた状態で尻餅をついていた。転送で酔ったのか、頭がフラフラしていた。
「この転送方式は最悪だな。改善の余地が大ありだ」
「位置の正確さ重視だからな」
 九重は頬杖に顔を押し当てて鶴丸を見た。切れ長の目を更に細めて、無言で鶴丸の気分が落ち着くのを待った。
 鶴丸が酔ってしまうのは左耳が聞こえないせいだ。バランスが取りづらく、揺れに対応できない。鶴丸故の難点だった。
「なんで強制送還になったかくらいは聞いたか?」
 九重は至極つまらなそうに聞いた。仕事だから仕方なくやっていると言いたげだ。でもそう見えるだけで、彼の口から飛び出る言葉は相変わらず鋭利なのだ。冷たい湧き水で研ぎ清めたような、鋭く無慈悲な響きを持っている。
「俺が任務の邪魔をしている、とか言っていたな」
鶴丸は平常心を装って答えた。
「心当たりはないのか?」
「それは君の方が詳しいんじゃないか? 君のところの薬研藤四郎が色々と調べていたようだが」
「俺はそういった報告は受けてないよ」
九重は静かに言った。
「まだ薬研は帰ってきてないし、帰ってきていたとしてもあまり興味はないな」
 鶴丸は思わず鼻白んだ。仮にも元審神者がこれでいいのか。そう思わずにはいられないほど、目の前の男は興味がなさそうだった。
「俺は顕現してから今まで、審神者ってのは君しか知らない。だから他の誰かと比べることは出来ないが、それでも君はだいぶ変わっている」
「まぁ、そうだろうな」
「なぜそこまで関心がないのに審神者なんてやっているんだ? 君にどんな利益がある?」
 大般若は見かねて口を開きかけた。しかし九重が手を挙げたから、ぐっと奥歯を嚙んだ。
「俺の利益ねぇ……。不便のない生活、くらいかな」
 幼い頃から聖域暮らしだ。結界の外に長くいられた例しがない。病院で検査を受けてもを悪いところなどまるでなくて、仮病のレッテルを貼られた。
 結局、小学生になるころには実家を出て伊勢の神宮で世話になっていた。
 神域の外に出るのは学校に行くときだけ。学校に行っても体育や課外活動には参加出来ず、友達と遊ぶことすら出来なかった。成長するごとに穢れには強くなったけれど、「普通」の生活ができないことに変わりはなかった。
 学力は申し分なくあったから、中学の担任は通信制の高校への進学を勧めてくれた。審神者の話がもたらされたのはそんなときだ。
 審神者になれば「神宮の神域」という狭い世界から出られる。九重が審神者になる決断をした理由はそれだけだ。むしろ、それこそが一番重要なことだった。
「まぁ、だからお前たちと一緒に歴史を守るってのはついでだ。この世界にいるんだからやれと言われているだけ。人の世界は俺が住む世界ではなかったから」
 九重は冴え渡る刃のような視線で鶴丸を見た。
「人の歴史がどうなろうが、俺には関係ないね」
ぞっとした。はらりと落ちた前髪の隙間から焔色の目が覗く。鶴丸と同じ、伊達色の目だ。
 鶴丸は彼の右目がなぜその色なのかを知らなかった。興味はあったが聞けなかったというべきか。たとえば触れてはいけないことのような、禁忌のような、そんな気がした。
 九重は気怠げに息を吐き、やる気なさそうに突いた頬杖に体重を乗せた。
「自分が消えるかもしれないってのに怖くはないのかい?」
「別に。元より人の世界とは関わりが薄かったんだ。消えたところで害はないさ」
 隣の机から咳払いが聞こえた。盗み見れば、大般若が眉を寄せて彼を睨んでいた。
「で、何をしたんだ? 正直にあることないこと話せば、若干動ける時間が増えるぞ」
「ないことまで喋ってどうするだ。裏を取られたら厳罰じゃないか。そんなアホなことはしない」
「じゃあ何かやったことは事実なんだな?」
 ツッコんでしまったことを後悔した。
「いやぁ、それは……」
笑って誤魔化してみたけれど、そんなことが通用する相手ではない。九重は眉ひとつ動かさなかった。
「何をした。黙秘する権利はあるが、良い結果にはならないぞ」
「脅しかい?」
「脅しじゃない。警告だ」
「良い結果になるとどうなる?」
「それは俺が決める」
 鶴丸は首を傾げた。
「君にそんな決定権があるのか?」
九重は頬杖を倒して「あるわけないだろ」と断言した。
「上に報告すれば、どんな事情だろうと関係なく廃棄だ」
「つまり、君にとって良い結果だった場合、上に報告しないということか」
鶴丸が言葉にすれば、彼は「好きに解釈しろ」と立ち上がった。
「で、話すのか? 話さないのか?」
絨毯が足を音を吸収して、靴の裏が床を叩く音が聞こえない。九重は鶴丸の右側から回って応接のソファに腰掛けた。
 やる気がなさ過ぎて笑えてきた。この男は本当に仕事をする気があるのだろうか。遠征には自分の息がかかった刀剣男士を寄越したものの、それ以外は自分の仕事ではないという態度。鋭い視線も透明な気迫も、並外れた思考力も全てが張りぼてのよう。
ーー結局、この人が何者だったのか、分からないままだったな。
 鶴丸はひとしきり笑って、大きく息を吐き出した。
「わかったよ。知っていることを話そう」

 鶴丸は政府に来てからの出来事をひとつひとつ話し始めた。
 彼はとある本丸に顕現した。どこの本丸だったかは知らないという。審神者は完璧主義の女性だった。彼女は、過去に心身に障害がある刀剣男士が顕現したことがあるという情報を知り、自分が顕現した刀剣男士に障害がないかどうかを徹底的に調べた。顕現後はすぐに政府に送って健康診断。本丸に戻ってからは一、二ヶ月は精神的な不調がないか様子を見る徹底様だったという。
 鶴丸は早い段階で聴覚障害が判明し、本丸に速報が行っている。そのことを鶴丸は知らない。診断結果を受診者が知るのは全て終わった後だ。
 審神者は速報結果をもとに、鶴丸国永の処分を決めた。鶴丸は検査が終わっても本丸に帰れないことを訝しんだけれど、本丸から政府の指示に従うよう言い含められていたからどうしようもなかった。鶴丸が政府の医療施設に二ヶ月留置されたのは、時間遡行軍が若手の本丸を集中攻撃したことにより、管理課の刀剣男士や職員まで出払っていたからだ。
 本丸や審神者を管理している管理課が人手不足では転属処理もままならない。病院も健康なものを構っている暇なんてなかったから、顕現して日が浅い、言ってみれば無垢な状態の刀剣男士が放置状態になった。
 そこまでは調べてある。鶴丸が話したことは正しい。ひとつ抜けている情報があるとすれば、鶴丸が行動を起こす切っ掛けとなった出来事がないことだ。
 九重としては「鶴丸を動かした奴」を知れればそれで良かった。鶴丸がどう動いたかはどうでもいい。たとえその行動が場を取り繕う為の嘘であっても。
「初動調査を長引かせたのはなぜだ? さっさと動いていれば早く帰ってこられたのに。ちょっと考えれば、政権交代を阻止するなんて馬鹿げた目的が達成されることはないてことくらい分かると思うけど?」
 出陣前、九重が与えた情報は現場ですぐ動けるような、精度の良いものではなかった。九曜の男士なら、まずは情報の精度を検証するところから始める。他の鶴丸国永も似たようなことをするから、当然彼も同じ行動を取るはずだった。なぜなら彼は顕現させた審神者の影響をほとんど受けていないのだから。九重が叩き上げた一振に等しい。以前、別な時代に派遣したときはもっと考えて動いていたように思う。鶯丸が挙げてきた報告の中の「精彩を欠く」という表現がしっくりきた。
「君からもらった情報を信じなければと思ったのさ」
「誰かにそう言われたか?」
「誰かって誰だ? そんな君の信者みたいな奴はいない。……いや、言われたか……?」
 鶴丸は急に黙り込んだ。
 九重は斜め後ろを垣間見た。両手を後ろで縛られた白い背中が見えた。鶴丸は頭を垂れ、時折首を傾げた。記憶の底を探るような仕草だ。
ーー忘れているか、記憶を消されたか。単純に分からないなんてことはないはずだ。
「まぁ、いい。わざわざ『国会にこの先の歴史を知る者がいる』なんて嘘を吐いてまで東京での調査を長引かせたのは一体誰の案なのか知りたかっただけだ」
 鶴丸が勢いよく振り向いた。同時に大般若も立ち上がった。
「身構えるな。大丈夫だ」
九重はやんわりと断りを入れて腰を上げた。鶴丸は彼の顔を睨んだままだ。
 ポケットに手を突っ込んで、のんびり鶴丸の前に出た。彼の前でゆっくりしゃがみ、視線を合わせて言う。
「身に覚えがあるな?」
鶴丸は九重を睨んでいたが、暫くすると、すっと視線を外した。
「君も俺を疑うんだな」
「疑ってはいない」
「先の歴史を知る者がいたのは事実だろう。じゃなきゃ国会で今までにない法案なんて成立しない」
「成立してない。衆議院を通過しただけだ」
鶴丸は「同じことだ」と吐き捨てた。
「俺は嘘は吐いてない。やはり元審神者だとしても役人は役人だな。管理課も調査課も変わらん」
 「調査課」という言葉に興味を引かれた。鶴丸は未だかつて調査課と関わったことはないはずだ。検査を請け負う医療施設は調査課とは無関係だし、配属になったのは管理課で、棟が違う調査課の職員と関わるはずがないのだ。
「気を悪くしたなら謝る。俺はこんのすけから『未来を知る者がいた』という報告を受けていなかったんだ。どこかで情報が操作されたかな」
 2008年への遠征は鶴丸が隊長だった。現地で知り得たことは全て九重に報告しなければならない。
「おまえにその情報をもたらしたのはこんのすけだったか?」
また鶴丸の顔が曖昧になっていく。断言できないのだ。記憶に何重にも薄布をかけられたようになっているに違いない。そうやってぼかして、記憶を曖昧にしておく呪術もある。
 記憶なんてそもそも曖昧だ。ぽっかり穴が開いていない限り、ぼやけているのなんて当たり前。それを作為的にやられているあたり、質が悪い。
「鶴丸、俺はお前を疑っているわけではないし、裁くつもりもない。ただ、俺には知らなきゃいけないことがある。分からないならハッキリ分からないと言って良い。嘘を吐いていないなら弁明してくれ」
 鶴丸はまた考え込んだが、今度はさほど時間はかからなかった。
「俺は自分でも驚くほど記憶がおぼろげだ。ぷつぷつと細切れでハッキリしない。だが嘘を吐いているわけではない」
「それは分かっている」
「俺は、人間てものがよく分からん。俺が完璧ではないと知ると笑い、哀れみ、馬鹿にする。使えないと指をさす。それなのに君は、ここにそんな刀剣男士ばかりを集めた。本音を言えば、傷の舐め合いをしているようで不愉快だった。そういう思いもあって、反発のつもりでやってしまったこともある」
鶴丸は、どこまでが自分の意志で、どこからがそうでないのか分からないと言った。言葉が唇からこぼれ落ちて、床で水たまりを作っているように思えた。
 九重は彼が歩まざるを得なかった道を思った。一緒に歩く誰かがいさえすればなんとかなったはずだ。ほんの数ヶ月、出会うのが遅かった。
 この世界は理不尽だ。平等などありはしない。どこかで罷り通る「普通」に苦しむ存在がいる。九重は当事者であり、彼らのような基準に満たないものの気持ちは理解できた。しかし彼らは物であり、九重は人間だ。お互いの間に厳然とこの壁がある。だから本当の意味で理解などあり得ない。でも少しでも良いから近づきたいと思う。それが生み出した者の責任ではないだろうか。
「鶴丸。お前の話はわかった。上には適当に報告しておく」
「俺はどうなる?」
「お前は刀解した体(てい)で封印する」
 鶴丸は虚ろな顔を上げた。
「封印?」
「建前上、刀解処分にする。しかし実際は顕現を解き、勝手に顕現できないように封印札を貼って、俺が管理している保管庫で眠ってもらう」
 鶴丸はまだ不得要領な顔をしたけれど、建前上、刀解処分ということは大般若と同じように政府の所属刀剣一覧から抹消されるということだ。大般若は政府の命令は一切受けず、九重の指示にのみ従う。本丸の刀剣男士に近い。
 そんな風になれるなら願ってもいないことだ。封印がどれくらいの時間になるのか見当も付かないが、九重の配下になるなら、他の審神者に譲渡されたとしても鶴丸を差別するような人間は選ばないだろう。
「俺の保管庫は俺以外は開けられない。勝手に持ち出されて使い捨てられちゃ困るからな」
 鶴丸には一週間の猶予が与えられた。その間に身の回りの整理をしろとのことだった。
 そして一週間後、九重は予定通り鶴丸の顕現を解いた。鶴丸には刀解処分と言ったが、刀解すれば出てきた資源を記録しなければならない。九重は鶴丸を破砕処分として処理した。
 顕現を解いた刀身を白鞘に納め、封印札を貼って九曜に転送した。行き着く先は本丸の奥深くにある社の中だ。
 そこには着任から今まで、九重が封印した刀剣が過去に折れた刀剣とともに仕舞ってある。いずれも破砕処分にしてあり、政府の所属一覧からは消えている。彼らはまだ見ぬ「誰か」に利用されたものばかりだ。
ーー今回の件で、調査課の内部に敵が潜んでいることは分かった。あとどれくらい、残り時間があるだろうか。
 九重は大きく息を吐き出した。庁内には暫くの間、真しやかな噂が飛ぶだろう。また、九重が神を殺したのだと……。
 それでも構わない。神殺しだと言われても、遂行しなければならない任務がある。九曜に送った刀剣たちはいずれ再度顕現し、この任務を手伝ってもらわなければならない。
「主人、今、いいかい?」
「なんだ」
「次の任務なんだが、少し厄介なんだ」
 大般若は困り顔で笑った。厄介じゃない任務なんて、政府に来てからもらった例しがない。
「あの本丸の、解体指令が出た」
 九重はぴたりと動きを止めた。それが苦しみの始まりだったなんて……この時は予想すらしていなかった。
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